子どもmirai研究会で副代表を仰せつかっております小林智(こばやしたく)と申します。

普段は新潟青陵大学で臨床心理学の教員をしております。よろしくお願いいたします。

私は家族心理学・家族療法を専門としており、大学生・大学院生の頃から家族心理学を研究するゼミ(研究室)に所属しておりました。我々の暮らす社会には数ある対人関係の中で家族のことを特別なものとしてみなす価値観が一般的感覚として内在化されているようです。このような価値観はこのコロナ禍においてより一層可視化され、行動の規範として根付いたように思います。感染拡大防止の観点からは“ご法度”とされる会食も、家族との食事は容認されている(そこには様々な事情により致し方ないものとしての側面があるとはいえ)ことにも、その一例を見ることができるでしょう。

 

時間を私の大学院生の時に戻します。当時の指導教員の先生はブリーディングまでされるような大変な犬好きで、研究室メンバーもよく犬の話を聞かされたものでした。その犬種の機能的な素晴らしさ・ブリーディングした犬の大会成績の優秀さ・犬と過ごす人生の豊かさ等々…。私は犬を飼ったことは無い(実家には猫がおり、現在の自宅ではウサギを飼っています)ので、犬の話を聞いていても正直あまりピンと来ていなかったのですが、その先生が仰ったある一言がとても(ともすれば長きにわたる指導歴の中で3本の指に入るほど)印象に残っています。ポロっとこぼしたその一言とは「犬は悪さしかしないよ、でも僕の人生にはとても重要だ」です。その先生の犬に対する愛と生活の注ぎ方を知っているからこそ、この言葉は私の印象に深く刻み込まれ、今でも「家族とは」ということを考える上で非常に示唆に富むものであると考えています。私のコラムでは、この言葉が意味することを掘り下げていくことを通じて、子どもとそれを取り巻く家族というものについて考えていきたいと思います。