朝7時近所の公園で地区班ごとの清掃活動がある。熊手や箒を用いて雪で折れた小枝や木の葉を集める。15分ほどすると公園清掃は終わり、各世帯を回り側溝の掃除になる。「班長さん」と声をかけられた。ちょっとびっくりしたが、そうだ私が班長だといわんばかりに、側溝のごみを入れる土嚢袋を手渡した。ご近所さんは丁寧に頭を下げて行かれたが、班長といわれるだけで、どこか責任感が増すから不思議である。

遠くでスコップを器用に用いて大量の泥を掻き出しているご近所さんがいた。ジャガーやアウディー、アルファロメオといった高級車を乗りこなすご近所さん。班長よろしく気の利いた行動をして少しは褒めてもらいたいと思い、彼の近くに膝をついてしゃがみ、土嚢袋を広げてみせると、先生はその泥を空き地のほうへ放り投げた。驚いている僕に対してよく磨かれた白い歯を輝かせながら「ここの泥はこっちでいいんだ」と側溝の奥へと投げ捨てる。班長撃沈である。

班長は「あーそういうことなんですね」と何がわかって何を心得たのか自分でもよくわからない安易な納得の姿を見せた。彼から仕事をもらうことはできなさそうなので、班長としてできることを探してもっと遠くの側溝まで歩いていく。そこでは長年この地域に住んでいる重鎮二人が長話をしていた。ここにも班長の居場所はない。そうこうしていると、いくつかの班の住人が集まりだし掃除の終結を意識し始めていた。新米班長として何をどのようにしたらいいかわからなかったので、隣にいた白い歯の紳士に「もう終わりですかね」と尋ねた。「あそこで土嚢を縛っている人がいるから」と制止された。班長には白い歯以外何も見えていなかったようだ。土嚢がなかなか縛れない老婦人を数分待つ。

静かにしていると紳士は「そろそろかな」といった。新米班長は尋ねる。「なにか言ったほうがいいですか?」。紳士は答える「もう終わりでいいんじゃないの」。30名前後のご近所さんが群れていて、そこに私を含め班長は3人いるはずである。千里眼を用いて6班、7班の班長を探ってみるもよくわからない。何度か見まわして私よりも土着の重鎮班長が誰なのか心の声で聴いてみるも辺りは静かなままだ。だれも終わりの言葉を言わないので私は心配になっていた。すると隣で白い歯の紳士が「こういうのは言ったもの勝ちだ」と教えてくれた。

私はまた安易に「そうか」と思い、清掃の感謝と掃除の終結を告げた。皆々各家に散っていく。私は白い歯の紳士に笑えと言われれば笑い、踊れと言われれば踊ってしまうほどの素直な男だった。私は慣れない班長常務に対する気苦労と、「こういうものは言ったもの勝ち」という言葉の余韻に浸っていた。勝手がわからず新米班長としてずいぶんと滑稽な午前中だったが、地域のいろいろな慣習や独自性というもの、それ以上に言外にある人の影響力というものに右往左往されていた。それがまるで操り人形のようにまとまりなく動く自分が醜く恥ずかしく、そして面白い。踊らされると踊るは違う。次の操り人形は5月だ。