自分の考えを述べるということはたやすいことではない。それも自分の価値観や信念に基づいて方針を決定することは非常に難しい。それでも生きていると絶えず考えを求められ決定を繰り返していかなければならない。

 

最近思うことが批判と主張の違いである。生活していれば自分が何かの考えに対して批判することも批判されることもあるわけである。批判する際またはされる際に考えるのは、「それって主張なのか?」ということである。そのように考えると時折何らかのオリジナルな考えがあるようにはみえないと感じられることがある。

 

テーゼに対するアンチテーゼが生じて、アンチテーゼとしての批判はそちら側から見ると主張になるのだが、そこに弱さを感じるのである。アンチテーゼは絶えずテーゼに依存し、反発という形でしか自らのアイデンティティーを証明できないのですが、本人はアンチテーゼをテーゼである(単なる反発ではなく自分の考えである)と考えている点に矛盾が生じるのである。いわばアンチテーゼでしか自己主張できないということは、テーゼからの脱却が出来ていない訳であり、自立した思考決定判断が難しいということにもなるような気がする。

 

つまり【眼】が育っていないのではないかと思うのである。自分が物事をどのように切り取り理解しているのかという“何が正しくて何が正しくないのか”という審美眼的なものである。【眼】がない、または弱いからこそアンチテーゼとしてしか物事を考えることが出来ないのではないかということである。では【眼】を育てるということはどのようなものなのだろうかと考える。おそらく「教える」と「育てる」の違いにも通底するように感じられる部分である。物事を切り取る【眼】は教えるものではなく育てるものであると。手技や技法や理論は教えられるし教わりやすいが、【眼】はそう簡単に教えられない。自分の外側のなにかに教わるものではなく、自分の内側の現象として身に付くものである。職人が言う「自分で見て盗め」という類のものだろう。つまり、それが「育った」という実感になる。自分で苦労して獲得するものであり、獲得したくても出来ないこともあるかもしれない。

 

おそらく価値観や信念を獲得していくような熱量の高い、重たいものになる。時間も負荷がかかるのは当然ですし、価値観を育んでいくのは相応のストレスになるわけです。【眼】を養うにはある型に染まらなければならない部分があることやその型を受け入れなければならない部分があり、仮に「違う」と思うのならば何がどう違うのか自問自答せねばならず、価値観を育むためには自分が侵食されながら新たなものに変化していくような経過をたどることになる。

 

守破離という言葉があるように、「守」を通らずして「破」「離」は訪れないのです。「守」とはある教えの中でその価値観や信念の中でやってみる、もがいてみるというものです。下積みです。当然自由はありませんし疑問も感じますし嫌なわけですが、自分でものを考える段階になる「破」「離」にいくためには、自分とは異なるものにじっくりと親しまなければならない苦しさがあるのです。「守」なく「破」「離」を求めると、単純な抵抗感としての批判や抵抗は出来たとしても価値観や信念が十分に成熟していないためにアンチテーゼの価値観や信念しか生まれてきません。アンチテーゼはいつまで経ってもテーゼを基に生まれてくるので、テーゼに依存してテーゼには敵いません。新たな価値観を生み出すには、先だって何らかの価値観としての型がなければ難しいということです。型があってこそ、次の型をつくることの出来る創造性が作られるような気がするのです。そう、型破りが通用するのは型があって初めてできるのです。

 

私は割と早期に「守」を破った(破ってしまった)人間です。誰かの下で守られ、その誰かの教えを守ることで安定した型を身に付けていくということをしてこなかった。そういう意味では常識的ではない、不躾不遜であると評される経験もしてきている。嫌悪されることも少なくはなかったと思うのです。そのような中で私は何を型として自分の考えを構築してきたのだろうか。その一つは本である。マスターソンの対象関係論、齋藤環先生の境界例に関する著書、東畑開人先生の心理療法哲学の著書、成田義弘先生の精神病水準に関する著書など血肉になった教えは数え切れない。アンドレブルトンのシュールレアリズムやミヒャエルエンデの児童文学はもう滅多に開くことはないが今でもバイブルである。型を学ぶとは直接的に人を通して行われるものだけに限らず、学ぶ側の人間が自分に共振するような型を見つけることが出来れば対象は何だって構わないと思うのである。自然を相手に、本を相手に、映画を相手に、芸術を相手に、運動工学を相手に。そこにそのように自分の価値観を存分に共鳴させ成熟させることの出来る型を見つけた人は幸運である。「守」が始まり、その人自身の臨床的な【眼】が育つ可能性に開けるわけである。人間という原理(なりたち)を理解するのに十分な納得を、自分と型との間で語り合うのである。そのような問題は自分探しに繋がるようなものだと思う。

 

過去を思い返すと派閥や学閥に馴染めなかったことで自己疑念や不安を感じたことがある。【眼】の伝承を尊敬できる臨床の先人と直接行うことが出来ることはどれほど安心を生むだろうと羨んだりもしていた。そのような妬みの反動として、自分に関することは誰かに教わるものではなく自分で決めたいという身勝手で思い上がった想いをしていたことも事実である。学生のころ「どこで学ぶかではない。何を学ぶかが重要である」とから自分に呪文のように自分に言い聞かせていたことを思い出す。

 

かなり精神的に孤立した状況に身を置きながら、分野独特の御作法に抵抗を感じて染まれずにいることは、当時の私にとってアイデンティティーの危機であった。危機状態ではじめて出会ったのがミヒャエルエンデであった。自分のものの見方や考え方を感動的に掴んだ体験であった。大学時代の恩師とお酒を酌み交わすようになった頃「新しい自分を見たいのだ。仕事する」という陶芸家河井寛次郎の言葉を頂いたことも忘れることは出来ない。自分を見つけることが仕事なのだ、仕事を通して自分を見つめていくのだと。私は、孤立はしていたが孤独ではなかったのかもしれない。自分を形作る多くのものに囲まれ、信じることの出来る「守」が形作られたことで、自分の眼を少しは信じるようになった気がする。そのようなやり方でしか生きていくことが出来ない。慎重というよりもどうも自分は怖がりなのかもしれない。だから、よりよい【眼】が欲しい。高精度で正しいものと正しくないものを見分けるような。