みなさんこんにちは。

これを書いている時は、少し雪が溶けかけている日です。地面が見えると、わずかばかりの雑草が見え、冬のピークが過ぎたことを感じます。

今回は題名の通り、「褒める」行動の本質は何なのか考えてみようと思います。ちなみに漢字では「褒める」「誉める」の2種類あります。前者は良い行いに対してすること、後者は高い評価を与えることという意味ですが、今回は区分せずに説明しようと思います。

ちなみに英語では“praise”“commend”と言います。

 

最近は、よく躾や教育の際に「ほめて伸ばしなさい」と書いてある本がたくさんあります。そのためか、ほめる対応をとる方がたくさんいらっしゃいます。ですが、私は端から見ていると、正直形骸化しており、子供がほめられることに飽きているというか、心に響かなくなっているのでは?と思う場面に度々遭遇します。

ほめることは大変難しいので、技術的なこともあるかもしれませんが、ここは少しほめることの本質を、主観ではありますが述べてみようと思います。

 

まず、ほめることはどう言うことなのかというと、相手が良い行いをおこなった時に良い評価を下すと言うことは、先ほど述べました。

では、「良い行い」「高い評価」を下すために必要なことは何でしょうか?

学校でいえばテストで良い点を取れば「高い評価」をもらい、会社ではボーナスの査定の時、査定項目が決められており、また会社に利益があることを行えば「高い評価」がもらえます。

これはスコアや基準によって評価が決まるので、数値が見えることで、一見公平さが保たれているように見えます。

親が子どもをほめる時はどんな時でしょうか?勉強した時や嫌いなものを食べた時、勉強した時など、いろいろあると思いますが、これは実は少し不公平なことなのです。なぜかと言うとほめる時に明確な基準がなく、また毎回ほめられることはないからです。テストは良い点を取れば、確実に良い成績がつきますから。

ですが、このほめることの最も難しいことは「感情」に左右されてしまうこと。数値化されたものの「以上」「以下」の価値が反映できないことです。

子どもは大人をよく観察していますし、我々大人でも、ほめられたり、ほめられなかったり、感情で判断されることを繰り返すと、段々とその人に対して信頼が持てなくなっていきます。

要するに、ほめる立場の人間の「ほめる」行動に信頼がない≒価値が低いと言うことになってきます。

 

では、ほめることに価値を持たせるためにはどうしたら良いでしょうか?

ここではある人のセリフを紹介します。

皆さま、プロレスはご覧になりますか?実は私は好きなので、ちょくちょくみているのですが、アメリカに世界最大のプロレス団体WWEという団体があります。

そこで、2人のレスラーが対峙することになりました。

 

1人はジョン・シナ

WWEで大絶賛中のプロレスラー。ベビーフェイス、甘いマスクで老若男女に幅広く人気のまだまだ若いレスラー。ボディビルダーから転向し、世界王座を最も獲得しており、格好いいレスラーです。

1人はザ・ロック

かつてのWWEで世界王座を獲得した1人であり、ハムナプトラ2のスコーピオンキングやワイルドスピードでルーク・ホブスで俳優にもなっており、高い身体能力、マイクパフォーマンスでかつてプロレス界を席巻した偉大なレスラー

この2人が対峙したとき、ジョン・シナはロックに対してこう言いました。

 

“I respect you. But I hate you!!”

 

直訳すると、「お前のことは尊敬しているが、大嫌いだ!」です。

よく意味がわかりませんね(笑)

 

実はこのセリフはもう少し深い意味があるのです。“respect”を和訳すると「尊敬」と習ったと思いますが、実は英語圏ではもう少し深く広い意味があるのです。それは「価値を認めること」と言う意味です。

なので、このジョン・シナのセリフの本当の意味は「私は、あなたが行ってきたことは価値があり、すごいことだと認めている。だが、私はあなたが大嫌いだ」と言う意味になります。

つまり、価値を認めることは、好き嫌いといった人間の感情とは別次元のことだとジョン・シナは言っているわけです。

話を戻しましょう。

ほめる人の好き嫌いで、罰と賞賛を与えていては当然その人に対して信頼はなくなり、価値も低くなっていきます。

ですが、その人や子どもがおこなうことに対し、好き嫌いの前に「これは一定の価値があること」と認めてみてはいかがでしょうか?

ほめることの最大の目的は「自己肯定感」を高めることにあります。

言語化できない幼児期は世界の中心は自分で、「根拠のない自信」に満ちています。ですが、言語化し外界と繋がっていくと、世界の広さを知り、徐々に自己が世界の中心ではないことを悟り、自信がなくなっていきます。

ですが、最初の他者である親から「認められる」ことを学ぶことで、自分には価値があり、相手にも価値があることを知ることができます。

ほめると言う技術は、この自己肯定感を高めることに最も効果的な手段だと思います。ですが、ほめる立場の人間が「価値がある」と思っていないと、形骸化してしまい、ただのセリフになってしまいます。

「価値がある」ことに明確な基準を求めたがるかと思いますが、先にも述べた通り、その「価値」に基準がなくても良いと私は思います。もちろん、言語化し基準ができた方がより自身は確固なものになると思いますが、そうすると言語化できないことに対し畏怖したり、価値が持てなくなってしまいます。

なので「言語化できない何らかの価値がある」と私は考えるようにしています。

結局、言語化していますね(笑)

いかがでしたでしょうか。少しまとまりにかけるないようですが、少しでも参考になれば幸いです。