先日第二回全体研修会を無事に執り行うことができた。会場に足をお運びくださった皆様に深く感謝申し上げます。会場準備や事前準備に当たってくださった先生方や講師の先生方、ナビゲーターの遠藤真理さん、ひと際多くのお取り計らいをしてくださった世話人の長尾先生に感謝しかありません。今回の研修会も大変学びが多い時間となった。連想が飛躍し妄想となり、まとめたいことがたくさんできた幸せに恵まれた。今後私なりに学んだことについて幾回に分けて書いてしまうのだろうと思う。予言といいますか、報告といいますか、誠に勝手ながら書くことにする。頭の整理。

加藤先生のご講演の中で「単純ですが」「大変シンプルなのですが」と、単純やシンプルという言葉が90分のご講義中で20回程度用いられていた(私のカウントでは18回)。途中からハタと気づきカウントしたので正確でないかもしれないが、耳に残った数はもれなく集計していた。加藤先生の演題にあったように、発達障害支援ではなく発達支援という題目であることが重要で、障害特性の話ももちろんしてくださったがそれよりも生物人間としての“健康とは何か”という内容と理解している。呼吸(酸素)の重要性や栄養、睡眠という生物としての基本原則にのっとらずに、何かしらの発達支援というものは枝葉末節になってしまうという警鐘を鳴らされた。

人間の支援するものとして優先順位があり、その優先順位の上位である呼吸や栄養や睡眠という根幹が、支援者の多くにとってあまりに身近で顧みられないことを訴えておられた。なぜ根本的な問題に着目されたかというと、人間の脳は驚異的なまでに適応する能力を有しており、局在的にミクロな視点で治療するよりも脳の適応を促すような生活改善を含めたマクロな方法に期待されているからだと思われる。生物としての適応の上に人間的な機能の育成、例えば運動や感情や思考などがなされる。生き方の話ではなく“生きる”話をされていた印象だ。脳の局在機能の話よりも相補性や統合性の話題に重きが置かれていた印象である。それは素人の我々にわかりやすく伝えるためのものでもあるだろうが、おそらく脳の本質的なものを教えてくださったのだと感じている。

確かにそのように思う。“生きる”の上に生き方である。“生きる”は生物としての基本であり、生物は環境に適応するようにプログラムされている、その力を信じることが支援の本質であるということで、何度も「単純に」「シンプルに」とおっしゃったのだと思う。

ご講義の前に貴重なお時間を拝借してランチセッションの機会をいただき、当日の打ち合わせをさせていただいた。その際に先生にひとつ質問をさせていただいた(本当は不躾ながら矢継ぎ早に色々と質問を重ねたのであるが)。質問とは、神経学の権威である先生が脳番地理論という形に至ったわけである。つまり、神経学のようなミクロの世界の研究をしながら、公の知財としてわかりやすく誰でも理解できる形に落とし込んでいく過程に葛藤がなかったのかお尋ねしたのである。先生は「人を理解するのに解像度resolutionが高くなりすぎて自分が何をしているのかよくわからなくなった時期がある」「解像度をわざと下げることで人間がよりわかる部分がある」というものだった。同席していた医療福祉大学の永井教授が「ガイドだよ」「地図も縮尺しすぎるとよくわからいでしょ、ある程度の縮尺でないと逆によくわからなくなる。目的地に近づいてきたら縮尺を細かくすればいい」と教えてくださった。目から鱗である。

物事を理解するために解像度を上げるのではなく(本当は究極までに上げ切った結果として、適切な解像度にたどり着かれたのだろう)、解像度を下げる判断に至ったことをどこか感動して聞いていた。そこに葛藤はなく、先生は笑顔で「なんで俺はこれに早く気が付かなかったかな」と繰り返し仰った。おそらくご講義中に何度も「単純に」「シンプルに」と発せられた言葉は、我々に響きながらも同時に自分に言い聞かせている自戒の言葉だったのかもしれない。それほどまでにストイックに先生の臨床は研ぎ澄まされている。物事を突き詰めていくほど本質には関係のないものをできる限りそぎ落としていくような作業であり、その果てに残される極めて重要な部分、最後に残る人間の核のような部分で勝負するべきであるというここだと感じた。武術や伝統芸能に似ていると思う私である。引き算の臨床の果てに。私には果て無く遠い達観された世界観である。

私が勝手に感動していたのは、支援者は通常問題解決に向き合うものだが、それをsolutionで難解に説明されるのではなく、resolutionで説明された部分である。reは「戻る」「再び」という意味があり、立ち戻るべき視座、忘れてはいけない根本というものだろう。妄想を話すと、教えるや育てることのもっと前、生まれるまで臨床を戻されているのだと感じた。再生や生まれ変わりに付き合う臨床の話を聞かせていただいたと胸にしまって眠るとする。生物としての人間を忘れてはならない。やや興奮している脳を落ち着かせて眠ることができるかいささか不安である。