昔,「育児」という漢字を「育自」と書くんだよと教えてもらったことがあります。どういうことかというと「育児」は「子どもを育てること」ですが,「育自」は「自分を育てる」という意味だということです。
子育てを経験するということは,「自分を育てる」という行為でもあるのです。しかし、それは自分自身の捉え方次第であることも事実です。子育てを通して、人間として成長していった人もいるし、逆に子育てから逃げてしまっている人もいるのが現実ではないでしょうか。
だからこそ、ネグレクトといった悲しい事件が起きたり、愛着障害といった問題が起きたりするのではないでしょうか。
さて、子どもが生まれると,親となった二人の生活は一変します。
赤ちゃんの頃は,夜中に何回も起きておっぱいをほしがりますし,おむつを替えないと泣くでしょう。そんな生活の中で,自分の生活を犠牲にしてまでも、母親は必死に子どもを育てていきます。
また,少し大きくなると予防接種などがはじまり,熱を出せば病院に連れて行くなど,自然に「親としてやらなければならないこと」をしていきます。こうして子どもと一緒に成長していきます。
母として、父として、愛情いっぱいに育ててきた我が子。しかし、ある日突然反抗的に言うことを聞かなくなってきます。そうです。自我の芽生えです。子どもは自我が育つと「個性」が出て来るようになりますし,それによってわがままを言う様にもなるし,ああしたいこうしたいなどと気持ちを伝える様にもなります。
決して悪いことではないのですが、親は戸惑います。自分の価値観を押し付けようとして子どもと対立することもあると思います。しかし、そういう中でも,親はいいことと悪いことをしっかりと子どもに伝えなければなりません。
時には大声をあげることもあるでしょう。
親の多くは,こういう「子どもたちとのやりとり」「しつけの問題」の狭間で非常に悩むと思います。私もそうでした。自分の子どもにだって,いつもいつも「愛情」だけを注いでやれるわけではありません。親だって子どもに対する苛立ち,葛藤があり、「どうしてわかってくれないのか」という思いがあるはずです。子どもが成長するにつれ,これらのことを実感する機会は少しずつ大きくなっていくかもしれません。でも,こうやって悩んで,親も成長していくのではないでしょうか。
子どもの成長とともに,親も日々成長していくのですね。
子どもの成長につれ,親は子どもとの関わり方が変わっていかなければなりません。徐々に手を離していくことが大切なのです。でも目は離さないという姿勢は忘れないことが一番です。近頃の行き過ぎた幼児教育などに対して言われることでもあるのですが,子どもは元来,自分で育つ力を持っており,“教育”とはそれを上手く引き出すことです。でも,それは放任とは違います。子どもが自ら「育つ」ことを強調するあまり,まったく放任しておけばよいと考えるのも誤りなのです。
このことは,特に家庭教育を考えるときに大切です。本気で子どもを“見守る”という覚悟がなければ,子どもも自然とは育たない,ということですね。
本当の意味で“見守る”ことはとても難しいのです。子どもが育つのを本当に「見守る」ということは,何やかやと「教える」(結局は干渉していることなのですが)よりも,よほどエネルギーのいるものなのです。自分育て(育自)に励みたいですね。
【筆者プロフィール】 長尾 昭浩。小学校教諭、教育委員会指導主事、小学校長を歴任。令和3年3月に定年退職。現在、三条市で初任者教諭の拠点校指導教員として勤務。