皆さま,お初にお目にかかります.言語聴覚士の小松慎太郎と申します.私は言語聴覚士という免許の下,仕事をしていますが,実はコミュニケーションを取ることが苦手です(笑).私の専門は神経心理学という学問で,人間の記憶や認知機能が,どのように働くのか,損傷されるとどのように症状が出るのか,ということを臨床してきました.今回は,私の師匠の教えを記載したいと思います.
皆さんは,よく「わかった?」「わかる?」もしくは「わかったよ」等,わかるという言葉を使うことはありますか?後輩の指導や,子どもの教育でもよく用いる言葉だと思います.
少し考えてみましょう.「わかる」とはどういうことを言うのでしょうか.
例えば『わかる』に似た言葉に『理解する』という言葉があります.
これを辞書で調べてみると
1 物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。「理解が早い」
2 他人の気持ちや立場を察すること。「彼の苦境を理解する」
より,わかりにくくなりましたね.
ここでははっきりと定義した内容で説明したいと思います.
わかるということは「相手にわかるように説明できる」程度まで理解できていることをいいます.
つまり,相手に理解させることができない説明では「わかっている」とは言えないのです.
相手に理解してもらうには,説明する側も様々な工夫が必要になります.絵を用いたり,比喩を用いたり,実演してみたりと様々な手段があります.
相手の理解力に合わせて,どの説明方法を用いるかは,経験則やいろいろな人からアドバイスをもらう等,色々な手段があります.
私のように目に見えない現象や言葉を扱う人間は,まずこのようにはっきりと「定義」してから物事に当たるようにしています.そうしないと,何を目的にするか曖昧になってしまうからです.
今回の感染症にしても,みんながどの程度『わかって』いるのでしょうか.色々な立場の人を『わかって』生活しているでしょうか.
『わかっていない』状態で物事に当たると,不十分な対応になったり,自身の力量を超えて物事に当たる羽目になってしまったり,相手に不十分な情報を与えることにもなりかねません.
ですが,実際の場面では不十分な情報のまま,物事に当たらなければいけないことも多々あります.
医療の現場では救急がそれにあたりますが,実は我々は不十分な情報のままでも,押さえておかなければいけないポイントを学習しているのです.
自分自身がどの程度「わかって」いて,どこから「わかっていない」のか,把握してから物事に当たることは非常に大事です.
今回はこれで結びといたします.拝謁ありがとうございました.
小松 慎太郎