3年ぶりに県外にある実家へ帰省した。両親にとってみれば生まれた孫は顔を見る前につかまり立ちをして、すでに人見知りを始めている。それでも両親は喜んでくれたので、どこかしら責任感のようなものを果たせたような気がする。それにしてもコロナ渦の帰省は退屈だ。友人知人に会うことも出来ず、ショッピングやグルメに出かけることも出来ない。近所のスーパーに向かいビールとつまみを買って帰るだけなら、長岡で常時していることと変わりなかった。それでも帰省が失敗に終わったわけではない。桜が満開だった。

とくにやるべきこともなく退屈ではあったが新鮮であることで救われるのである。懐かしいという感覚もそれは普段の生活ではもう感じることのできない体験になっているので、“そうそうこの感じ”“あそこにはあれがあったよね”という具合に、昔と今の整合性を確かめるようなワクワク具合である。

他にも新鮮な発見があった。母親よりも父親と話がしたい自分がいることに気が付く。共通の話題も趣味もない関係で、どことなしか気まずい雰囲気が長く続いていた気がするが、今回の帰省ではそのような思いを感じることがほとんどなかった。数年前に警察庁を退職した父は幾分痩せて、ぎょろりと血走っていた目がきちんと瞼におさまっている。目じりのしわに気が付くと、案外かわいらしい顔をしていたのだと気づかされた。目の前の男は趣味で見ているアニメの情報や退職後に健康維持のために始めた清掃のアルバイトでの苦労を語る。

父が半分冗談、半分本気という具合で先祖のお墓と自分たちの入るお墓の話をしはじめる。実家から車で30分の所にある先祖のお墓を近所に引っ越そうかと思っていることや、自分の時は樹木葬のようなものもいいかななど。これはどうやら相談ではなく報告のような語り口で話していることに気が付く。

僕は、父がこの話題を話したいようだったのでそのまま話をさせてやる。父が僕のグラスにビールを注ぐ。僕が変わろうとすると自分の分は手酌で済ませる。父は死んだら、自分の骨を少し持っておいて母が死んだときにお骨に混ぜてくれと言った。どうやら母より先に死ぬことを願っている様である。「これだけは頼んだぞ」と赤ら顔でいう。僕も「わかったわかった」と赤ら顔で答える。両親の人間関係というものは当事者同士にしか分からず、親子関係から透けて見えていた夫婦関係はそれほど充実していたようには思えなかったが、それはそういう時期だっただけ、それはそのように見えていただけ、それは仕方がない事情があったからだけ、というものなのだろうか。

「お父さん、お母さんのこと好きなんだね」と茶化してやる。父は何も返すことなく僕にビールを注ぐ。隣で妻が赤ちゃんを抱いてあやしている。目の前では死についての話がなされ、すぐ横では生まれたばかりの赤ちゃんが活発に動いている。父の隣にいる母は口を挟むことなく、そしてどちらの様子にも深入りすることなく穏やかな様子でそれを見守っている。片道車で5時間かけて長岡に戻る道中、桜前線は埼玉で立ち往生していた。はて僕はどこのお墓に入るのかな、はて妻は本当に神奈川の墓に入りたいのかな、と素朴に疑問が生じる。妻に尋ねる。妻は「そんなこと分からないわ」と、無視して赤ちゃんのオムツを替えている。彼女は今子どもが生きていくことにかまっているだけで精一杯なのだろう。確かに一先ずは大泣きをする赤ちゃんの世話をすることが正しいようである。夕方のテレビニュースでは新潟県の桜は4月中旬が盛りであると伝えている。こちらももう少しで追いつきそうである。